こんにちは!
ヒロトです!
突然ですが、
オリエント世界についてどんな印象を持っていますか?
「民族が多すぎて覚えられない、、、」
「関係図がごちゃごちゃでわからない、、、」
と思ったことはありませんか?
確かに複雑に見えますよね。
でも実は、一個一個しっかりと内容を追っていけばそこまで複雑ではないんです。
あなたもこの記事を読んでオリエントマスターになりましょう!
今回はダレイオス一世の治世からの内容を書いていきます。
ダレイオス一世の治世では駅伝制を始めとして様々な政策によって国力を増強しました。
アケメネス朝の都は確定的なものがなく、
一般的には祭儀用の都がペルセポリスで、
政治用の都がスサでした。
また、季節によって都を変えていました。
夏は元メディアの都であったエクバタナで、
冬は新バビロニアの都であったバビロンでした。
ダレイオス1世の対外政策はギリシャ世界への干渉でした。
支配下にあったイオニア地方で反乱が起きると4回にわたりギリシャ遠征をしました。
これがいわゆるペルシア戦争です。
しかしギリシャ征服はできませんでした
アケメネス朝崩壊
ダレイオス3世の治世に、マケドニアのアレクサンドロス大王が東方遠征を行いました。
そしてBC333年にイッソスの戦い、
BC331年にアルベラの戦いを行いました。
結果的にアケメネス朝は負けてしまい、ペルセポリスは崩壊しました。
まとめ
1季節や目的ごとに都が選ばれた。
祭儀用にペルセポリス、政治用にスサが都になった。
2ダレイオス一世はギリシャに4回遠征した(ペルシア戦争)が支配できなかった。
3ダレイオス3世の治世にマケドニアのアレクサンドロス大王とのイッソス、アルベラの戦いに負けて滅亡した。
以上で今回の内容は終わりです。
いかがでしたでしょうか?
今回の内容は王様中心の話になりましたが、
逆に言えばこの王様の順番とやったことを覚えられれば
この単元は点が取れるということです
復習をしっかりして頭に焼き付けましょう!
次回は古代ギリシャについて書いていきます
では!