サクッとギリシア世界④(ペルシア戦争〜)
こんにちは!
ヒロトです!
突然ですが、
古代ギリシアは好きですか?
「カタカナが多い、、、」
「名前が似てて覚えずらい、、、」
と思ったことはありませんか?
確かに似ている名前が多くてややこしいですよね
でもこの単元は人物を軸にして学ぶとわかりやすいので比較的に勉強しやすいです
あなたもこの記事を読み終わったときには
ギリシアの流れが頭に入っていることでしょう!
今回はアテネ民主制が終わり、ペルシア戦争が始まるところをまとめていきます!
ペルシア戦争
ペルシア戦争はBC500年にアケメネス朝ペルシアとアテネ、スパルタなどのギリシアポリスが衝突した戦争です!
きっかけ
アケメネス朝の植民市であったイオニアで反乱が起こりました
アテネがその反乱を支援したためアケメネス朝との戦争になりました
アテネとスパルタvsアケメネス朝ペルシアでした
BC490年にマラトンの戦いが勃発しました
結果はアテネの重装歩兵が勝ちました
ここで有名なのが、勝利を伝えるため走ってアテネに戻った兵士が到着して「来た、見た、勝った」とだけ言い残して力尽きたという話です
マラソンはこの戦いのこの逸話が由来です!
次にBC480年にサラミスの海戦が起きました
サラミスの海戦では三段櫂船という戦闘用の船が使用されました
指揮をとったのはテミストクレスという人でした
彼は後にこの戦いでの武勲を鼻にかけてオストラキスモスで国外追放になります
この戦いはアテネ民主政においてとても重要です
なぜなら三段櫂船の漕ぎ手を平民が担ったからです
当時のアテネでは戦わないものは政治に参加できませんでした
武器を買うお金のある貴族だけが戦争に行けて、参政権を得られました
しかし、三段櫂船の登場により平民も戦争で手柄を挙げる事ができるようになり、参政権を得られるようになりました
これは後に平民の発言力を上げる出来事です!
この戦いでアテネとスパルタの連合軍の勝利が決定しました
デロス同盟
アテネはギリシアのポリスのなかで盟主のような立ち位置になり、アテネを中心にデロス同盟が組まれました
デロス同盟の由来はこの同盟の金庫を保管する場所がデロス島であったからです
スパルタとの確執
アテネがデロス同盟の盟主になるなどして力をつけていくなかで、一緒に戦ったスパルタは徐々にアテネに対して対抗心を持っていきます
この対抗心は後にアテネを揺るがす存在になります
その内容は次の記事で書いていきます!
まとめ
1ペルシア戦争の主な戦い
2三段櫂船の登場により民主化が加速
3デロス同盟の結成
→アテネがポリスの中で盟主的立ち位置に。
以上で今回の内容は終わりです!
いかがでしたでしょうか?
ペルシア戦争はとても大事な内容なのでしっかり整理しましょう!
次はアテネの安定期と崩壊のところをまとめます
では!