サクッとギリシア世界⑥(アテネ崩壊)
こんにちは!
ヒロトです!
突然ですが、
古代ギリシアは好きですか?
「カタカナが多い、、、」
「名前が似てて覚えずらい、、、」
と思ったことはありませんか?
確かに似ている名前が多くてややこしいですよね
でもこの単元は人物を軸にして学ぶとわかりやすいので比較的に勉強しやすいです
あなたもこの記事を読み終わったときには
ギリシアの流れが頭に入っていることでしょう!
今回はアテネが崩壊していくところをまとめていこうと思います!
スパルタの台頭
前回の記事の最後に取り上げたスパルタの台頭について書いていきます
スパルタはアテネがデロス同盟を結成したり、強国化したりすることに対して強く警戒しました
そしてBC6世紀までにはほとんどの諸ポリスとの間でペロポネソス同盟を結んでいました
アテネらデロス同盟もこれに反対したので両者が対立して戦争になりました
結果はスパルタが勝利し、アテネはギリシア内での実権を失いました
敗因としては、カリスマ的指導者ペリクレスが疫病で病死してしまったことが大きいです
ペロポネソス戦争後のアテネ
ペロポネソス戦争中に指導者ペリクレスを失ったアテネはデマゴーゴス(扇動政治家)が多く出現しました
その後僭主が支配するようになるなど荒れに荒れました
しかし、この荒れた時代に文化面が急成長を遂げます
ソクラテスが処刑されたのもこのあたりの時期です
崩壊
アテネやスパルタのようにマケドニアも力をつけてコリント同盟を結成しました
アテネはギリシア内の覇権を取ろうとコリント・テーベなどと手を組みスパルタに対してコリント戦争を起こしますが、覇権はテーベに取られてしまいます
そして、マケドニアのフィリッポス2世が南下して来て、BC338年にカイロネイアの戦いに敗れてしまいます
敗因はアテネが誇った重装歩兵が実質的になくなり、傭兵に頼った軍編成であったためです
傭兵はお金で雇われた兵士なので死を感じたら怖がって逃げてしまいます
自国を守ろうとする兵士との決定的差です
そして、アテネはこの敗戦からマケドニアに支配されてしまいます
まとめ
2ペロポネソス戦争はスパルタの勝利
3ペロポネソス戦争後アテネではデマゴーゴスが増加し社会が荒れるが、文化は栄えた
4コリント・テーベと組んでスパルタと戦うが、実権は取れず、テーベが覇権を取る
5マケドニアのフィリッポス2世にカイロネイアの戦いで敗北→支配される
いかがでしたでしょうか?
ここの範囲はギリシアの勢力図が大幅に変わるところなので戦争に注目しながら復習してもらうと効果的です!
以上で今回の内容は終わりです!
文化面はまた別の記事でまとめて書こうと思います
では!