めんどくさがりの受験世界史

覚えること多すぎな世界史をめんどくさがりの僕が覚えた方法を紹介していきます〜

サクッと中国史③(周)

こんにちは!

 

 

ヒロトです!

 

 

突然ですが、

 

 

国史は好きですか?

 

 

「時代が多すぎてどれがどの時代かわからない」

 

 

「名前が覚えられない、、、」

 

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と思ったことはありませんか?

 

 

確かに漢字ばっかりで覚えづらいですよね。

 

 

でも、実はそんなに複雑ではなく

 

 

要点を掴めば意外と簡単に思えます!

 

 

あなたもこれを知れば中国史に対する苦手意識が少なくなるかも知れません!

 

 

今回はについてまとめていきます。

 

 

周は犬戎という北方の遊牧民の侵略を受けて都を離れることによって西周東周に分かれます

 

周成立からBC(紀元前)770年までを西周

 

BC770年~秦成立(BC256年)までが東周

 

西周の成立」

 

殷の紂王を周の武王が倒して王になることで

 

周(西周)が成立しました。

 

このように王朝は王(天帝)のが変わることで交代されるという考え方を易姓革命という。

 

易姓革命

 

1前王が王位を譲ることによって

 交代する禅譲

 

2前王を倒して王位につく放伐

 

 

の2つあります。

 

 

西周の首都は渭水盆地の鎬京です。

 

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周の時代の大事なポイントは政治制度が大きく変わったことです。

 

 

殷の時代の神権政治から

 

血縁によって統治する封建制になりました。

 

 

周王は自分の血族や地方の有力者を諸侯として

 

土地と人民を与えてそれぞれの土地を統治させました。

 

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諸侯の下には卿、大夫、士と階級が存在しました。

 

 

偉い順で行くと周王→諸侯→卿→大夫→士です

 

 

封建制では宗族という血縁的なまとまりが重要視され、

 

 

血縁のまとまりである宗族は宗法によって秩序が保たれていました。

 

この統治方法は「礼」を重視した社会を作り、後に孔子が理想としました。

 

 

「東周の成立」

 

そして犬戎の侵入があり、西周の王が倒され、鎬京を離れました。

 

 

周王室は東に逃亡して洛邑というところに周を再建しました。

 

 

これが東周です。

 

 

しかし周王の権力は堕落し、諸侯が力を持った時代になったのでこの後諸侯同士が権力争いをする戦国時代に進んでいきます。

 

文化面はまた別の機会に一気にまとめていきます。

 

 

今回の内容をおさらいするとまとめると、

 

西周の都は鎬京

2王朝交代は易姓革命という考え方。

3神権政から封建制に変わった。

4東周の都は洛邑

 

です。

 

 

この4点を覚えておきましょう!

 

意外とかんたんに感じられたのではないでしょうか?

 

次は春秋戦国時代をまとめていきます!

 

では!