めんどくさがりの受験世界史

覚えること多すぎな世界史をめんどくさがりの僕が覚えた方法を紹介していきます〜

サクッと中国史⑥(秦)

こんにちは!

 

 

ヒロトです!

 

 

突然ですが、

 

 

国史は好きですか?

 

 

「時代が多すぎてどれがどの時代かわからない」

 

 

「名前が覚えられない、、、」

 

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このように思ったことはありませんか?

 

 

確かに漢字ばっかりで覚えづらいですよね

 

 

でもポイントさえ覚えてしまえば

 

 

そこまで複雑ではないんです!

 

 

あなたもこれを読んで頂き、

 

 

国史への苦手意識をなくしましょう!

 

 

今回はについてまとめていこうと思います!

 

ちょうど漫画キングダムの舞台になっているところです!

 

秦の中華統一まで

春秋戦国時代孝公法家の商鞅を登用することで戦国の七雄のなかで最強になり、

 

 

BC(紀元前)221年に秦王の政が中華を統一しました

 

 

 

政は都を咸陽において即位し、始皇帝と名乗りました

ここから中国の皇帝制度が確立しました

 

 

内部政策

始皇帝法家の李斯の意見を聞きながら政治を行いました

 

 

中華という広大な土地と人民を管理することは容易ではありません。

 

 

そのため基準をいくつか作る必要がありました

 

 

1つ目は統治制度、

2つ目は文字、通貨、単位の統一

3つ目は思想の統一

 

 

1について、秦では周の封建制をやめて

全国を郡や県に分けて官吏を各地方に置くことで中央集権的に統治できる郡県制を導入しました

 

 

2つ目について、

文字は小篆というもの、

通貨は半両銭というものに統一して

さらに度量衡も統一して基準を作りました

 

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3つ目について、

当時の秦は儒学が流行し、秦を批判したり好意的に思わなかったりする人が現れ始めました

 

そこで始皇帝はその人たちを弾圧するべく

焚書坑儒という政策を実施します

 

焚書(医学、農学、占い以外の本を燃やすこと)

坑儒儒学者を弾圧すること、生き埋めにすること)を行いました

 

 

孔子が周の統治方法を理想としたため儒学者は秦の統治に不満があったそうで対立していました

 

対外政策

国史を通して必ずと言っていいほど北方民族の侵攻は国が揺らぐ原因になったり脅威になったりします

 

秦の時代は匈奴が強敵でした

 

始皇帝は将軍の蒙恬を派遣してこれを討ち、

始皇帝は、

侵入を妨害するための万里の長城を築きました

 

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また、領土を広げて南下し、ベトナム北部に

南海郡、桂林郡、象郡の三郡をおきました

 

 

滅亡

絶大な権力を持った始皇帝が死去して、

統治が緩んだタイミングに、陳勝呉広という2人の農民が反乱を起こしました

これを陳勝呉広の乱と言います

 

反乱は鎮圧されましたが、これがキッカケになり各地で劉邦や、項羽が挙兵しました

 

結果的にBC206に秦は項羽と劉邦によって落とされ、滅亡することになります!

 

 

秦は中国史のなかでもテストに出やすいです

なぜなら出来事が政治的にも文化的にも大事なことばかりだからです

 

しかし逆に言うと、ここをしっかりとおさえられれば点数がしっかり取れるということです!

 

 

少し多いですがまとめます!

1秦の都は咸陽

2中華統一前は孝公と商鞅

 統一後は政(始皇帝)と李斯

3基準を作る(郡県制小篆半両銭度量衡

4内部(儒学者)と外部(匈奴)の敵に対抗する

 内部では焚書坑儒、外部の匈奴には蒙恬を派遣して追い返し、

始皇帝万里の長城や、南海郡などを置く

5始皇帝の死後、陳勝呉広の乱が起きる

それがきっかけとなり項羽と劉邦が秦を落とす

 

 

この4点を覚えていただけると秦は大体網羅できます!

 

また、文化面や商業面は別の記事で書きます!

 

いかがでしたか?

秦は勉強のしがいのある単元です

少しずつでいいので流れを頭に入れていただけると徐々に知識が入っていくと思います!

 

次は前漢についてまとめていきます!

 

では!